儲かる副業探しの旅・・・たどり着いた先は『せどり』だった

こんにちは、大ちゃんです。
「今の給料なんかじゃ誰も幸せに出来ない!!」
僕が23歳の時・・・
大好きだった年上の彼女と出逢い、結婚という2文字が頭をよぎった時、僕はそう思いました。
当時の僕の給料は、家庭を築くという以前の問題でした。
自分一人で生活する程度の給料しか貰っていませんでした。
ただ、日本には年功序列という制度があるので、年齢ととも給料が増えると信じていました。
だから一生懸命に頑張ろうと思っていました。
しかし、それは夢物語だったのです。
当時、10歳くらい年上の現場でバリバリ働いてて将来有望と言われていた大先輩の給料を聞いた事があります。
『手取り20万円・・・』
一生懸命働いて、現場で遅くまで毎日残業を繰り返して、家族を犠牲に頑張っているにも関わらず手取り20万円です。
この瞬間、「終わった・・・」と思いました。
この記事のもくじ
サラリーマンという危ない綱渡り
はじめに言っておきます。
僕はサラリーマンを否定する気は全くありません。
ただ、サラリーマン一筋は非常に危険だという事を言いたいだけです。
今がもしも、高度経済成長の真っ只中であれば、僕はサラリーマンを頑張って出世を目指していたと思います。
年功序列、終身雇用の制度があったから・・。
その会社で働き続ければ、歳をとるにつれて出世して給料が上がります。
そして、定年まで働く事ができ、定年退職後には年金生活です。
普通に生きれば普通に幸せな生活が出来ていたと思います。
そう、僕の親世代のように。
ただ、それは古き良き時代です。
僕たちが今現在いる時代は、年功序列や終身雇用という制度が崩壊しています。
それに相まって、大手企業が軒並み揃って副業を解禁し始めました。
来年くらいに、『国が副業解禁を許可する』とも言われています。
つまり、企業の服務規程に掲載されている『副業禁止』という言葉が消えてしまいます。
これは、国が『会社にしがみつくと危険』と警告を出しているのと同じです。
会社に尽くして頑張った結果、倒産やリストラという事も普通に考えられます。
そんな時、会社は僕らを守ってくれません。
だからこそ、僕らは副業をして自分の力で生きていけるようにお金を稼がなくてはいけません。
この時、僕は副業探しの旅に出ました。
儲かる副業探しの旅が生み出した悲劇
儲かる副業といっても、当時の僕はインターネットで検索する事はありませんでした。
『転職』をしようと思っていましたが、どうしたら良いか分からずに全く行動していませんでした。
お金に困らない生活がしたい。
でも、現状を脱出する勇気がなかったのです。
そんな時、初任給8万円の貧乏生活を共にした仲間からの連絡が!
なんと、世間ではネズミ講と言われているネットワークビジネスのお誘いでした。
世間知らずの僕は、ネットワークビジネスの感動に酔いしれ、迷わず20万円のお金を支払って代理店になりました。
サラリーマン4年間で一生懸命貯めたお金の半分が、この時消えました。
燃え盛る思いでネットワークビジネスを頑張った結果・・・
僕の人生は終わりました。
彼女に愛想を尽かされました。
ネズミ講をやってるという噂が地元に流れました。
家族の絆も薄れてしまいました。
それでも成功を目指して、様々なネットワークビジネスの会社を転々としました。
一心不乱にネットワークビジネスを頑張った結果、気付けば200万円以上のお金を使っていました。
給料の全てをネットワークビジネスに捧げていました。
自由になりたいと思えば思うほど、僕は不自由になりました。
いつしか人生のすべてが嫌になりました。
初めての感動!42円の愛
僕はネットワークビジネスを辞めました。
次に僕が見つけた副業は、アフィリエイトでした。
どんな手法で検索したのかは覚えていませんが、たどり着いたのがAmazonアソシエイトでした。
サイトを作るだけでお金が入ってくるという事実に酔いしれていました。
インターネットで一生懸命探して、1つのサイトを作成しました。
もうそのサイトは跡形もなく消えてしまいましたが、今考えれば稼ぐのは夢のまた夢ってくらいショボい内容でした。
その時は、アクセスカウンターを自分で作れた事に感動し、1日に何度も更新して数値を稼いでいました。
その時は稼ぎ気満々だった気がしますが、今思えば暇つぶしのようなレベルでした。
結果的に独学で数ヶ月頑張った結果、Amazonの本が2冊売れて42円の報酬が発生しました。
ただ、42円というお金が僕の通帳にこのお金が振り込まれるのは、そこから数年後でした。
それでも何としてでも稼ぎたかった僕は、そこから更にネットワークビジネスの泥沼生活を経て、せどりに出会いました。
やっと見つけた!希望の光
僕は、ふとしたきっかけで『せどり』に出会う事が出来ました。
これは、僕の人生最大の奇跡だったと思います。
何をやってもサッパリ稼げなかった僕は、人生を変えるためにセミナー通いを始めました。
沢山のセミナーに参加して、沢山の事を学びました。
その時に、一人のおばちゃんに出会いました。
成功者でも何でもない、元気なおばちゃん。僕の事を自分の子供のように接してくれました。
そのおばちゃんと行ったセミナーで、突如
「大ちゃん、大ちゃん、大ちゃん、これ見て!!」
と言って、カバンから1冊の本と小型電子機械を取り出しました。
※画像はイメージです。
これが、僕とせどりの出会いでした。
せどりを始めても、最初は散々な結果でしたが何とか継続する事が出来ました。
僕がせどりを頑張れたのは、ネットワークビジネスのように、誰かを巻き込む事が無かったからだと思います。
自分一人の頑張りが結果に繋がるから、精神的にはとても楽でした。
副業隙間時間で月収50万円を稼ぐ男
挫折だらけの人生に希望の光が灯され、その光が次第に大きくなってきました。
せどり開始7ヶ月連続赤字という、ギネス級の珍事を打ち出した僕でも、慣れとともに収入がどんどん増えました。
僕は結構周囲を気にする人間ですので、店舗せどりに抵抗がありました。
ですので、在宅ベースで仕事が出来る電脳せどりという手法に切り替えました。
それが功を奏し、右肩上がりで収入が増えていきました。
気付けば、隙間時間の電脳せどりで月収50万円を稼ぐまでに至りました。
当時は、150万円くらい売って、残った利益が50万円くらいでした。
サラリーマンの手取りが15万円くらいだったと記憶していますので、副業せどりと合わせて月収65万円でした。
30歳にも満たない若造の年収が800万円という・・・
僕の生活は、この時からすごい勢いで変わってきました。
負け組サラリーマンでも成功出来る!それが『せどり』
僕は、自他ともに認める負け組サラリーマンだったと思います。
初任給は手取り8万円からスタートし、手取り20万円は夢のまた夢でした。
数々の副業に挑戦し、その都度儚く散っていきました。
そんな僕でも、せどりで成功を勝ち取る事が出来ました。
僕が稼げたんだから、気合いがあれば誰でも稼げると思います。
もちろん、何もせずとも稼げるような甘い話ではありません。
稼ぐためには相応の努力が必要になってきます。
でも、努力するだけで人生を変えるレベルのお金を稼ぐ事ができます。
サラリーマンなんて、死ぬほど努力しても給料はみんなと同じです。
だからこそ、僕は本気で人生を変えるために、徹底的にせどりに打ち込みました。
そして、人生を大きく変える事ができました。
あなたが、サラリーマンで成功してても落ちぶれてても全く関係ありません。
一心不乱にせどりに打ち込む事によって、未来が大きく変わってきます。
この記事をご覧のあなたは、少なからず今の人生に満足していないと思います。
人生を変えるきっかけを探していると思います。
そんなあなたに少しでも役に立てば良いなと思って、この記事を書きました。
悩んでても、人生なんて何も変わりません。
一度きりの人生を最高レベルに満喫する為にも、今からせどりをスタートしましょう!
あなたのご活躍を楽しみにしています。
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